寝屋川市で歯科をお捜しの方、審美歯科、矯正、インプラント相談希望の方、香里園の歯医者の坂井歯科医院まで。

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坂井秀明の経歴

坂井秀明「歯科医師への道」

■子供のころ

たまに患者さんに聞かれます。
「坂井歯科にはいろいろ工夫された手作りの機械がありますが、先生が作られるんですか?。」そうなんです。私は子どもの頃から工作や機械を操作したり分解したりすることが本当に大好きでした。 3〜4歳のころ、時計を分解するのに夢中で、特に置時計は片っ端からバラバラ。たくさんの時計の歯車を集めては「にんまり」していました。トースターや電話機まで分解するので、目の届くところには置けなくなったそうです。

幼稚園に行くようになったころ、空き缶を集め、テープで張り合わせてロボットを作りました。ダンボールの顔のなかに、ラジオを組み込み「おしゃべりロボットだよ。」と言って周囲を驚かせました。そのとき、ほめられた自分への賞賛や周囲の驚いた様子が、三つ子の魂に刻み込まれたようです。「何かを創造して、周囲を驚かせたい。」この思いがいつも私を動かしているように思います。

■小学校のころ

福岡教育大学の付属久留米校に入学
小学校の担任のU先生に「今日も日記はプラモデルを作った話だね。」とあきれ顔。
実際にプラモデルばかり作くる毎日でした。

高学年になると、真空管ラジオ作りに興味が移り、セメダインを持つ手がいつの間にか半田ごてを持ち熱中していました。
休みなしで働く今の私からは想像できないかもしれませんが、この頃は、とても身体が弱くよく学校を休んでいました。いつも夏休みになると体調を崩し、休みの大半を床の中で過ごすこともありました。内科の先生に往診に来てもらうと「原口先生は大嫌い!」と叫びながら急に元気に逃げ回っていたようです。病気を治してくれることには内心とても感謝しており、そのことが医学についてさらに身近に感じ興味を持つきっかけになっていたと思います。

また、この頃は「いたずらの天才」とよく言われていました。翌日新築の記念式典を行う真新しい体育館の屋根裏に、いたずら仲間と登り探検。誤って足をすべらせ、屋根裏をぶち破り大穴を空けてしまいました。応急で穴をふさいで新築の記念式典が行われ、「あの穴は俺たちが開けたんだ。」とかなり自慢げに話していました。もちろんその後校長室で正座させられこぴどくしかられ、反省させられたのは言うまでもありません。

父親は、歯科医で、久留米市の六つ門という中心地に5階建てのビルを所有し、その1階で比較的大きな歯科医院を開業していた。ちなみに、父は3代続く歯科医の家系で私は4代目となります。父は、無口であまり社交的でなく、どちらかというと質素な人でした。日本画が趣味と言うより実質プロの画家でもあった。個展もよく開き、結構いい値段で売れていた。最近、久留米の歯科衛生士学校の校長先生とお会いする機会があった。「私の父は久留米で歯科医をやっていました。」というと、「ああ、桜島や、水仙をお書きになる先生ですね。」と言われた。自宅に飾ってあると言うことで、驚きと共に嬉しかった。

父はアトリエにこもり、絵を描くことが多く、絵を描く姿は結構カッコよかった。しかし、私は絵を描くことには全く興味を示しませんでした。ただ、一度だけ「未来の都市」と言う題で空中都市に空を駆けるような高速道路があり、高速のモノレールが走っている絵をかいたことがありました。校内で特賞に選ばれそのことを大変嬉しそうに褒めてくれたことがありました。

また、父は釣りが大好きで、よく連れて行ってもらい、投網もよくやっていた。
一緒に「おにぎり」を食べるのが楽しみで、私はそんな父親から一度も叱られた経験がなく、いつも物静かでやさしい父親と言うイメージしかありません。医療人として「やさしい」はとても大事な素質だと思います。でも経営って「厳格な面」も必要なんですよね。この点では苦労しています。よくも悪くもそんな一面を私は受け継いでいるようです。



中学生の頃

同じ付属中学進学。
機械部という趣味の延長。クラブの部長となる。
学園祭のとき人が乗れる「ホバークラフト」を製作。

解体屋さんで廃品のスクーターを買い、そのエンジンを分解、ピストンリングなどを新品に交換して完全復活させた。そのエンジンをホバークラフトに組み込み、近所の鉄鋼屋さんを巻き込み、溶接なども破格で頼み込み見事完成。あまりにもパワフルにエンジンが動くので、危険と言うことで浮かすことは出来なかった。夏休みの工作は毎回「ロボット」だった。結構難しい「ロボット工学」の本も読んでいました。

このころは、工学部に進学することを目指していました。
今でも、NHKの「ロボコン」、高校生たちが作成したロボットでいろいろな競技を競い合う番組ですが、欠かさず見てしまいます。創意工夫し、いろいろなアイデアで精一杯頑張っている高校生たちの姿に感動し、涙することもあります。

しかしこのころから、歯科の仕事にも興味を持ち始めていました。
歯科の黄金時代と呼ばれた時期で、どの歯科医院も大勢の患者さんが訪れおり、父の歯科医院にもあふれるほどの患者さんで、大変忙しそうに父をはじめスタッフははしりまわっていました。

ある日、「夜も眠れないくらい痛かったのですが、すっかり治まりました。本当に助かりました。ありがとうございます。」と拝むように手を合わせて父に礼を言っているおばあさんの姿を見た。感謝される魅力的な仕事であることを知る瞬間でした。この光景は今でも心に残る一コマとして大切に残っています。

高校は福岡市に住居を移し、福岡中央高校に進学。ラジオを作ったり、アマチュア無線にもはまり、ますます工学系の毎日となるります。東京の叔母のところへ行くと、ほとんど毎日秋葉原に出かけ、たくさんのガラクタを買ってきては母から叱られるというパターンでした。

今でも、大阪の日本橋めぐりは大好きで、時間があれば目的なしにいつの間にかガラクタを買い込んでいます。いろいろなものがところ狭しとならんでいる診察室を見て「おもちゃ箱をひっくり返したような医院だ。」と友人の評。この時代から引き継ぐ性格だと思います。進歩してませんね。



■大学生の頃

福岡歯科大学に進学
工学部を目指していたが、まずは父の後を継ぎ、その後まだ工学部に行きたいのなら自由にしてよいという言葉にとりあえず入学。

この頃も工学系一色。アマチュア無線で福岡市でも結構大きなサークル「ロクロククラブ」を創設。キャンプや小旅行などを企画していた。また、古いワゴン車を買い、塗装や板金、内装にテーブルやベッドを作りキャンピングカーを作りました。長距離運転が苦手な私は、友人に運転させよく阿蘇山などに行き、また、クラブは「日本拳法」という武道系にはまっていました。体を鍛えて強く健康になりたかったのです。

拳法ではもともとスポーツ音痴の私はさほど活躍できませんでしたが、そのときの経験は「個人の実力とともに、チームでその個人をどう生かすか。」を教えてくれました。もちろんそのときの仲間は生涯を通じての友人でもあります。この経験は、坂井歯科医院でチームで医療を提供することに大いに役立っていると思います。

歯科大学でいろいろ勉強する中で、最も興味を持ったのが矯正治療でした。診断が他の病気とは違い、まるで機械を設計するように図面化し数値化します。そして歯を動かすためにはゴムやばねの力によりいろいろな方向にベクトルをかけ、成長などの要素も考えながら進めるのです。工学系の心をゆすぶるものがありました。

5年生になり登院する時期、実家は大変な変化に見舞われました。父が病気に倒れ、いろいろな事情で医院を手放すことになったのです。経済的にも困窮し、学校を辞めるかどうかという選択も迫られました。それまで勉強は二の次で学生生活をのんびり過ごしていた私には晴天の霹靂でした。ついには家も手放し、小さなアパートで生活するという、どちらかというと「お坊ちゃん育ち」のそれまでとは180度の変化でした。

私はそのとき物質的な財産のはかなさを知ることになりました。お気に入りのイタリア製の革張りの応接椅子とテーブル。母親の大切にしていた伊万里焼の大きな壷など今の私でもとても手が出ないような品物が次々と人の手に渡っていくのです。新車で買ってもらった「スカイライン」も換金しなくては生活できなくなりました。
そのときに心に深く決心させられたことがあります。

それは、「自分の財産は家や高級品などのいつかは消え去る物質としてではなく、生きていくための様々なノウハウや情報などの知恵として、頭や心そして人間関係の中に築いていくこう。」ということです。歯科大からは奨学金を受け、また様々な人から助けを受け卒業することが出来ました。

■卒業して修行時代

大好きな福岡を離れることは考えられなかったのですが、開業までの「修行時代」はいろいろ経験しようということで大阪へ。叔父の紹介で城東区関目の「つつみ歯科医院」でお世話になりました。

治療のために型を取ると次の日には詰め物は出来ている。かぶせ物は3日後には出来ている。審美などの特殊な治療はシースルーのエレベーターで3階の特別室で治療する。2階の技工室は前面ガラス張りで患者さんが自分の歯が出来る過程を見ることが出来る。など、患者さんの利便性やアメニティーを考えた経営姿勢に多くの患者さんの支持を集めていました。医療を提供する中に技術だけでなくサービスも重要であることを学ばせていただきました。

このころ、矯正の勉強をしたいという私の希望で阪大の作田教授のところで、勤めながら週1日だけ研修生として通いました。その後、歯科大学で大変お世話になった、成瀬教授の紹介で東大阪の「太田歯科医院」で修行することになります。院長の太田先生は現在大阪府歯科医師会の会長をされています。

ここは、多くのスタッフを抱える医院で、院長の強力なリーダーシップの下みごとにチームとして医院を運営していました。また、分院の分院長や、派遣医師の経験もさせていただき大変勉強になりました。

■開業の時

あと2〜3年は勉強したかったのですが、経済的理由から開業を急ぐことになりました。分院長として一人で診療することも経験し、ある程度の自信もついていました。

しかし、卒業してまだ2年と3ヶ月しかたっていません。今考えると少々無茶だったなぁと思います。当時はまっていた本に「ジョセフマーフィーの成功法則」があります。何か悩んだり、選択に困ったり、元気がなくなったりすると必ずこの本を読みます。今でもそうです。いつもなんらかの解決法を教えてくれるのです。

「心に強く思うことは必ず実現する。」

これが根底に流れる教えです。開業のための資金も応援してくれる人もいない私には、この本の教えは正に「聖典」でした。夜寝る前に「開業したい理想像を細部にわたるまでイメージングする。」とてもワクワクするひと時でした。あらゆる理想像を自分の中でリアルと感じるまで妄想するのです。

急行電車が止まる駅のそば。隣接して大きな商店街がありマンションが立つ。駅から歩いて1分以内。ビルの1階にある入りやすいテナント。駐車場は20台以上ある。設備はレントゲンは「べラビユー」。チェアーは「スペースライン」。全調節咬合器。ソノエクスプローラ。ジロマチック。ビデオ説明システム。・・・・。電話番号は6480や8241など歯科に関係する番号。スタッフ4名。来院数60人。美人の受付嬢が予定人数になるとOKサインをしてくれる。掛かる総費用は通常の半分以下・・・。

など、など就寝前に楽しくイメージングするのです。
1ヶ月もたったころそのイメージは想像の歯科医院の床の感触からタービンを握り切削する感覚、患者さんとの会話まで鮮明になり、とてもリアリティを帯びてきました。

そして不思議なことがおきました。

つつみ歯科時代から親しくしていたプロパーのMさんから「先生!そのままの物件がありましたよ!」と言う電話。早速紹介してもらい見に行きました。驚いたことに私の想像そのままでした。設備、備品すべてあり、この持ち主も機械が好きな様で多くのガラクタも残されたままでした。事情がありいわゆる「居抜き」で医院を売りに出されていて、機械や備品はそのまま受け継ぐ形の契約なのです。しかも値段も通常の半値以下でした。

電話番号もNTTから6480をもらい、とてもただの偶然には思えませんでした。こんなイメージ通りの好物件が見つかり嬉しくて小躍りしたものです。よく調査もせずすぐに契約してしまいました。

ただ、2つの大事なポイントが違っていました。ビルの1階が3階だったこと。そして経済的な運命を左右する来院患者数が大きく違っていました。1日60人の予定がわずか10人。医療機関とはいえ、経営できなければ満足な医療サービスは出来なくなります。

■坂井歯科医院開業の頃 

昭和57年7月
ちょっと悲しいアミンの「私待つわ」の曲が有線からいつも流れていました。
友人知人に祝福され励まされながら開業しました。

開業前後に親身にアドバイス頂き、開業初日に患者さんが沢山来るようにと手配して、自らも患者として来院してくださったM氏。開業直前まで勤めていた太田歯科医院から付いてきて、軌道に乗る3ヶ月間ほど手伝ってくれたくれたベテラン助手のSさん。 毎日深夜まで手伝ってくれた妹。そして、生まれたばかりの長男を保育園に預け受付をしてくれた妻。多くの人に恵まれていることを改めて知りました。

ちょっと不安を抱えながらも開業してしまいました。しかし患者さんは来ない。アミンの歌が妙に心に響く毎日でした。私は歯の治療技術については大学や勤務時代に学んできましたが、患者さんを集める方法については全く無知でした。いい治療と対応が出来れば患者さんは来るだろうと思っていた私はただ、ただ「私待つわ」の心境でした。1年半ぐらいはこの状態でした。

比較的暇だった私は、このころ近くの喫茶店のマスターとその客たちと共に 手作りの飛行機を作成し「鳥人間コンテスト」に出場しました。毎日メンバーが集まりマスターのマンションの駐車場で飛行機を製作。とても楽しいそして思いで深い毎日でした。コンテスト当日、私たちは苦労して作成しいろいろテストして思い通りのいい結果を出していたので、かなりの自信を持って出場しました。

初出場でトップテン内には行きたい!そんな勢いで望んだものです。その日のニュースで私たちの飛行機が報道されました。いったん快調に飛行した後、突然さかさまに反転し戻って着水するというめずらしい飛行をしたためです。操縦していた女の子は一瞬気絶していまい湖面に浮かぶというハプニング。

事なきを得たのですが、コンテストでの飛行距離は最低レベルのわずか4mでした。アナウンサーが「曲芸飛行も審査項目にはいっていましたかねー。」「入ってるわけねーちゅうの!」とテレビに思わず突っ込む私がいました。

院内ではいち早くパソコンを導入し治療説明やカルテを書く作業に使用。口腔内をビデオで収録してテレビの画面に映し治療説明を始めました。当時のビデオは肩に担ぐVHSビデオで、患者さんは何が始まるんだろう?と言う顔でお口の撮影させてもらっていました。でも、テレビの画面で自分の口の中の虫歯や歯茎の状態が映し出されると驚きと興味を持って説明に聞き入ってくれました。

その後、静止画を2画面保存できる仕組みを自分で作製し、すべてのチェアーに取り付けたり、口腔レポートという治療計画を写真とともに作成するなど患者さんとのコミュニケーションのツールを開発していきました。これらの努力が認められたのか、徐々に患者さんは増えてきました。

■転機

かなり患者さんも増え、かってイメージしたように60人の患者さんも来院することもあるようになったころ、事件はおきました。

「先生。ちょっと話があります。」

夜遅く歯科医院に残り仕事をしていると、スタッフの一人から電話が。
近くの喫茶店に呼び出されました。

「私たち、今週一杯でやめさせてください。」
3名のスタッフに告げられた。

「えー!どうゆうことぉ?」
私は思いもかけない言葉に驚いた。

表面的には何事もなく働いていた彼女らは、裏では大きな人間関係の問題を抱えて悩んでいたのでした。院内のスタッフは二つのグループに分かれ大喧嘩している。その仲裁をしてほしい。ということでした。私は院内の人間関係は当事者のことなので「自分たちで解決しなさい。」とつぱねてしまいました。これが大きな間違いと気づかされるのにそう時間はかかりませんでした。

数日後、いつものように朝出勤するといつも先に来て医院の始業準備をして、患者さんを入れて待っているはずなのに・・・。医院のドアの前で数人の患者さんが中に入れずに立っています。「先生。今日は休みではないですよね。」と私に声をかけてくる患者さん。スタッフ全員出勤ボイコット。スタッフの悩みを真剣に聞かない院長に強い不信感を持ち、その不満を示す彼女らの大胆な行動だったのです。

この事件は坂井歯科医院の大きな転換点となりました。

私はこの時まで患者様第一主義を心に実践していました。しかし、まず、スタッフ第一主義でなければならないことに気がついたのです。スタッフの職場環境とりわけ人間関係はとても大事です。院内の人間関係が良くなければ、心に余裕がなくなり、患者様に親切にしてあげたくても出来ないのです。

スタッフが満足すると、患者様に心からのサービスが出来るようになります。その結果、スタッフに心からの患者様第一主義が根付いてくるのです。今、坂井歯科医院のスタッフがとても明るくのびのびと仕事をし、患者様への対応もとても良いと評価してくださるのもあの事件があったからだと思っています。

さらに、スタッフ全員がチームとなり、医院のマネージメントにも深くかかわってもらう制度へと発展しています。そして現在、医院は新たなステージを迎える事になりました。


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